『
現代ビジネス 2015年08月10日(月) 近藤 大介
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44634
風化が進む中国の「反日感情」
〜五輪招致成功と抗日戦争勝利70周年にみる、
習近平政権と民衆の乖離
■「オリンピックは2008年にも北京でやっているから……」
北京時間の7月31日午後6時、マレーシアのクアラルンプールで開かれていたIOC総会で、2022年冬のオリンピックの開催地が北京に決定した。
私はこの日に北京に着いたばかりで、その時間は「北京の銀座通り」こと、王府井のホコ天を歩いていた。
ホコ天の南側の角、長安街と交わる近くの東側に、「北京2大書店」の一つ、王府井書店が設置した巨大な電光掲示板がある。
6時前になると、広告用の電光掲示板が、中国中央テレビ(CCTV)のニュース画面に切り替わり、クアラルンプールの会場から生中継となった。
道行く若者たちも立ち止まって、固唾を飲んでスクリーンを見守っている。
「Beijing!」
IOCのバッハ会長がそう告げた瞬間、クアラルンプールの中国代表団が、歓喜を爆発させた。
中央テレビのアナウンサーも「われわれはついに勝ち取りました!」と、興奮気味に伝えている。
だが王府井のホコ天は、いたって静かなものだった。
人々はポケットからスマホを取り出し、パチパチとスクリーンを撮って、その場から「微信」(WeChat)で友人たちに送るだけ。
それは彼らが普段、レストランで「水煮魚」を食べた時に写真を撮って送るのと、何ら変わらない行為だ。
その間、わずか30秒ほど。
それが終わると三々五々、散って行った。
「自分の故郷に再度、オリンピックを誘致する」
という習近平主席肝煎りの「国家事業」を成功させたにしては、何とも寂しい光景だった。
隣に立っていた20代の女性に聞くと、次のように答えた。
「今回のライバルは貧国のカザフスタンだけだったし、2008年にも北京でやっているから、別に招致を成功させたからって、『それが何?』という感じ。
嬉しいのは、オリンピック期間中、大気汚染がなくなることと、臨時の祝日ができることくらいかな」
それだけ言うと彼女は、「いまからユニクロのタイムセールがあるから」と言って、走り去ってしまった。
続いて30代の男性に聞くと、ややくぐもった声でこう回答した。
「冬に雪も降らない北京で、どうやって冬季オリンピックをやるの?
きっとヨウ化水銀をしこたま空に撒いたり、人工雪を造ったりするんだろうけど、ますます北京の街が汚染されることになる。
それに誘致にかかった費用や開催にかかる費用は、われわれの税金で賄うわけでしょう。
政府にそんな余裕があれば、税金を減らすか、株価を上げる対策にでも使ってもらいたい」
興味深い光景にも遭遇した。私の近くで、中国メディアの4人のカメラマンが、「オリンピック招致成功で沸き返る市民たち」のショットを撮ろうと、待ち構えていた。
だがホコ天では、万歳も拍手喝采もないので、望んでいた写真が撮れない。
しびれを切らせたカメラマンの一人が、大型のカメラバックから「五星紅旗」(中国国旗)を取り出して、幼児を抱いていた母親に頼み込んだ。
「この旗を子供に持たせてポーズをください」
母親は、仕方ないなという感じで、幼児に旗を持たせて、「このお兄さんの前で振りなさい」と促した。
カメラマンはフラッシュを何度も焚いて、「ありがとう」と言って立ち去った。
すると残りの3人のカメラマンも近寄ってきて、「もう一度、子供に旗を振らせてくれ」とせがんだ。
すると子供は委縮して、泣きそうになった。その時、母親の堪忍袋の緒が切れた。
「いったい何度、この子に同じポーズを取らせれば気が済むの!」
だがカメラマンたちは、母親の怒りを無視するかのように、子供の手を無理やり挙げさせて、写真を撮って行ったのだった。
■インテリや中間所得者は
「習近平思想」より日本旅行に夢中
こうした王府井の光景を見ていて、習近平政権と北京っ子との「乖離」を感じた。
中国中央テレビは、世界各国に配置した特派員を駆使して、北京が世界中から祝福を受けていると報じた。
マイクを向けられたヨーロッパや南米の市民たちが、
「中国の経済とセキュリティは素晴らしい」
「世界一の人口大国は世界一のオリンピックを実現するだろう」
などと語っている。
今回44対40と惜敗したカザフスタンのカシモフ総理も、「北京に祝福を送りたい」と述べている。
2018年に冬季オリンピックを行う韓国平昌市の実行委員長もインタビューに応じ、
「初めて隣国で続けてオリンピックを行うことになり、大変嬉しい。
両国で力を合わせて二つのビッグイベントを成功させよう」
と語った。
だが、習近平政権やその意を受けた官製メディアの盛り上がりとは裏腹に、今回の招致を受けて北京っ子は、いたって醒めているのだ。
思えば14年前の夏にも、たまたま取材で北京へ来ていた時に、2008年夏のオリンピック招致が決まった。
その時は、それこそ町中がお祝いムードに沸いた。
市民の顔が数日間、パッと明るくなり、誰もがオリンピックの話題を口にして、喜びを分かち合っていた。
だが今回は、だいぶ様子が違うのだ。
この決定の直後に、王府井で中国の経済官僚と待ち合わせて『東来順』に行ったが、オリンピック決定の乾杯をしている客など皆無だった。
『東来順』は、清朝末期の1903年から100年以上続く、庶民的な羊しゃぶしゃぶの名店である。
この経済官僚の話は後述する。
習近平政権と北京市民との乖離は、王府井書店でも見られた。
1階の入口を入ると、書店員が必死に、両脇の特設コーナーを宣伝していた。
入ってきた客から見て右側は、「中国共産党コーナー」、というより「習近平コーナー」だった。
『習近平 国政運営を語る』が、ドーンと積まれている。
国営新華社通信が「世界で400万部を突破したベストセラー」と報じた、習近平主席の演説などをまとめた分厚い書物だ。
ちなみに、この本の日本語版を出した出版社の関係者は、
「日本語版は6000部刷って、たったの100部しか売れず、返品の山となった」
と嘆いていた。
王府井書店の書店員が宣伝していたもう片方の左手の特設コーナーは、「抗日戦争勝利70周年記念」関連本だった。
中国では8月15日は「解放記念日」であり、習近平主席は昨年から、9月3日を中国人民の抗日戦争勝利記念日に指定した。
日本が降伏文書に調印した1945年9月2日の翌日に、旧ソ連が勝利記念パレードを開いたことから、中国もこの日を「勝利の日」としたのだ。
その「勝利コーナー」には、『中国抗日戦争史』という本が、豪華本から簡略本まで大量に積まれていた。
だが、10分ほど観察していたが、この両サイドの特設コーナーに足を止める客は皆無だった。
正確に言えば、大学院生と思しきカップルが、抗日戦争のコーナーの前で一瞬、立ち止まった。
女性が男性に聞いた。
「共産党が日本軍を破ったって本当なの?」。
すると男は、首を横に振った。
「日本軍を破ったのはアメリカ軍でしょう」。
それきり二人は立ち去ったのだった。
書店でどのコーナーに人気があるかと言えば、習近平コーナーの右手にある海外旅行のガイドブックのコーナー、とりわけ日本旅行のガイド本である。
10種類ほど揃っていて、立ち読みをする人たちで溢れ、何冊も売れていくのだ。
これは何を意味するかと言えば、書店に立ち寄る層、すなわちインテリや中間所得者、大学生、大卒の若者らは、「習近平思想」や「抗日戦争勝利70周年」よりも、日本旅行の方に興味があるということだ。
私が北京へ行くたびに定点観測している日本料理店がある。
北京最大のビジネス街であるCBD(中央商業区域)の北部、「財富ショッピングセンター」3階にある「響」(ひびき)という店だ。
この店に来る客は、「白領族」(バイリンズー)と呼ばれるエリート・サラリーマンや、アッパークラスの若者たちが多い。
今回は平日の夜に訪れたが、やはりほぼ満席だった。
店長に聞くと最近、最高級純米大吟醸の「獺祭」を日本から直輸入してメニューに載せたところ大好評で、早くも品薄なのだという。
「獺祭」は、安倍首相が昨年4月に訪日したオバマ大統領に飲ませたことで話題を呼んだ山口の銘酒だ。
私はメニューを見て、仰天した。「獺祭」は720mlの4合瓶で、1,100元もする。
約2万2,000円だ。
1升瓶なら2,100元(約4万2,000円)もする。
それより高い新潟の銘酒「久保田万寿」もあって、1升瓶で2,800元(約5万6,000円)だった。
こちらも人気が高いという。
日本食は相変わらず、ブームだった。
新規の日本料理レストランが、続々オープンしている。
寿司をひと握りずつパックに入れて1元(約20元)から売る「池田寿司」、
北京で寿司の代名詞になっている「将太寿司」、
同じく日本ラーメンの代名詞になっている「味千ラーメン」
など、街のあちこちで日本料理店を見かける。
この頃は、日本旅行に出かけた人たちが帰国後、「日本の味」を懐かしがって来店するケースも少なくないという。
「食在中国」(食は中国にあり)と称される中で、日本料理が「差別」を受けることはない。
■人民解放軍の大改革に挑む習近平主席の危機感
8月1日は、88周年の「建軍節」だった。1927年8月1日に共産党員たちが南昌で蜂起したことから、中国はこの日を「人民解放軍創設記念日」に定めている。
同日夜7時のメインニュース『新聞聯播』は、軍事関連ニュース一色だった。
まずは、南昌蜂起から現在に至る人民解放軍の「偉大なる足跡」を振り返った。
そして最近、習近平主席がいくつかの重要な言葉を発したと、アナウンサーが興奮気味に伝えた。
それは、
「戦之必勝」(戦争には必ず勝利せよ)、
「在基層落地生根」(軍は庶民層に根を張れ)
といった文句だ。
また、中国共産党中央機関紙『人民日報』が同日、
「従厳治軍鍛造鋼鉄長城」(軍紀厳しく統率して鋼鉄の万里の長城を建造する)
と題した社説を掲載したことも報じた。
実際、習近平主席は、230万人民解放軍を掌握しようと躍起になっている。
★.その手法の一つが、「打老虎」(大虎の捕獲)である。
習近平政権は、「建軍節」直前の、そして北戴河会議直前の7月30日夜10時、国営新華社通信を通じて、「西北の狼」と呼ばれた郭伯雄・前中央軍事委員会副主席を、重大な収賄の容疑で軍事検察院に移送する決定をしたと発表した。
3年前まで軍服組トップだった男を、ひっ捕らえたのである。
いまから16年前の1999年9月、江沢民主席(当時)は、郭伯雄と徐才厚を人民解放軍最高位(30数人)の上将にし、翌月に二人を、人民解放軍の最高意思決定機関である中央軍事委員会の委員に抜擢した。
この二人は胡錦濤時代に入って、やはり江沢民の推薦で中央軍事委員会副主席となり(主席は胡錦濤)、「軍の両巨頭」として10年にわたって君臨した。
この両巨頭は、習近平時代に入ると同時に退役した。
その後、江沢民人脈を壊滅させようと目論む習近平主席は、まずは昨年3月の全国人民代表大会閉幕直後に徐才厚の調査を開始し、同年6月に共産党の党籍を剥奪。
連日の厳しい捜査の中、徐は今年3月に、失意の中でがんで死去した。
中国メディアによれば、昨年3月15日晩、人民解放軍軍事検察院の捜査員が、北京市阜成路にある徐才厚宅を強制捜査した。
2000平米もある地下室には、人民元、アメリカドル、ユーロなどが積み上げてあり、計1t以上もあったという。
他にも、100㎏、200㎏以上の和田玉や、唐宋元明代の書画や骨董品などがザクザクと見つかった。
もう一人の郭伯雄に関しては、今年の全国人民代表大会前の3月2日に、まずは長男の郭正鋼・浙江省軍区副政委を拘束。
4月9日には郭伯雄本人も拘束して、本格的に捜査を開始した。
郭伯雄に関しても、内部通報者と思しき人物が4月21日に、ネット上で捜査状況を暴露した。
それによれば、押収されたのは人民元が10t以上、アメリカドルが1億ドル近く、金塊が105t、骨董品が総額10億人民元近く、預金通帳が約300個で預金額は計1,800億人民元近く、別荘が9軒で6,000万人民元近くだったという。
金塊と預金通帳分だけで、4兆1,000億円に上る。
これは周永康の1兆9,000億円を軽く上回る額だ。
今回の北京出張で、ある退役軍人から聞いたのだが、
人民解放軍は上から下まで賄賂漬けになっていて、
とても日本と戦争などできない
という。
上は軍管区司令員の2,000万元から、下は伍長クラスの数千元まで、軍のすべての階級に「値段」がついている。
軍人たちはその相当額を上部に「上納」して初めて、ポストを得られるのだそうだ。
まさに日本のヤクザ社会のようだ。
また、いわゆる「吃渇嫖賭」(喰う飲む抱く賭ける)の接待費はすべて、国庫から賄っていて、全軍が日々「上司接待」に明け暮れているという。
徐才厚と郭伯雄は、こうした上納システムの「大元締め」だったわけだ。
現在、習近平主席は、こうした腐りきった人民解放軍を大改革しようとしている。
北戴河会議でも、大胆な軍改革が俎上に上ったという。
中国軍は対外的には、南シナ海を埋め立てて軍港を造ったり、東シナ海の日中中間線付近でガス田を開発したりしている。
これに対し、例えば8月4日にクアラルンプールで開かれたASEAN外相会談では、中国に南シナ海の埋め立てを抑制するよう求める方針で一致した。
また日本は、ガス田開発の16枚の写真を公開し、中国を非難した。
だが上記の退役軍人によれば、こうした行為は、習近平主席の危機感の表れなので、
「対外的にではなく対内的に」ストップができない
という。
ストップしたとたんに、軍にをける求心力が失墜する
というわけだ。
習近平主席は、2012年11月に党中央軍事委員会主席に就任して以来、「軍は戦争するのが仕事なのだからしっかり戦え!」と発破をかけ続けている。
だが人民解放軍は、1979年の中越紛争以降、戦争をしていないし、いますぐ戦争すべき「敵」も存在しない。
それでも、激しい「ファイティング・ポーズ」だけは、取っておく必要があるというわけだ。
それでも、その退役軍人によれば、
習近平主席が230万人民解放軍を掌握するのは難しいだろう
という。
「軍内には長年にわたる『腐敗の秩序』が確立しており、それを一時的に断ち切ったとしても、またすぐに復活する。
なぜならその方が、軍の誰にとっても都合がよいからだ。
もし習近平主席が本気で軍を掌握する気なら、対外戦争を仕掛けるしかないだろう。
かつて英国のサッチャー首相が、フォークランド紛争によって、国内政界及び軍の支持を勝ち取ったようなものだ」
■抗日戦争勝利70周年特別展「偉大勝利 歴史貢献」
そんな中、8月2日の日曜日、北京の西南郊外、盧溝橋にある「中国人民抗日戦争記念館」を訪れた。
1937年7月7日、北京(当時は北平)に入る城門の盧溝橋で日中両軍が衝突。
そこから、丸8年に及ぶ日中全面戦争に突入した。
この博物館は、盧溝橋事件50周年を記念して1987年に完成したが、博物館教育を重視する習近平主席の命令によって、習近平時代に入って改装が重ねられた。
習近平主席は昨年7月7日、この記念館を訪れて反日演説をぶった。
その2ヵ月後の9月3日にも訪れた。
今年は演説こそしなかったものの、7月7日に3たび訪れている。
日曜日ということもあったのかもしれないが、他の博物館と違って「人山人海」(黒山の人だかり)だった。
興味深かったのは、観覧者の3分の1ほどが、公安(警察)の新人たちだったことだ。
中国の学校は7月に卒業するので、高校や大学を卒業して北京の公安(警視庁に相当)に就職した新人警官たちが、研修の一環として見学に来ていたのである。
公安の制服に身を包んでいるものの、男女ともに初々しい若者たちだ。
記念館では「抗日戦争勝利70周年」を記念して、「偉大勝利 歴史貢献」と題した大々的な特別展を行っていた。
想像はしていたものの、
「中国共産党から見た歴史観&戦争観」
が丸出しだった。
結果として、中国共産党が1949年にいまの中国を建国したのだから、「歴史は勝者のもの」なのだ。
最初の大広間からして、習近平主席が誰よりも尊敬する毛沢東主席の「語録」が、ドーンと飾られていた。
〈 偉大なる中国の抗戦、それは中国のこと、東方のことだけでなく、世界のことだ。
われわれの敵は世界的な敵だ。
中国の抗戦は、世界的な抗戦なのだ 〉
その「偉大なるお言葉」に花を添えるように、スターリン、ルーズベルト、蒋介石の言葉が、周囲に小さく飾られていた。
第一室は「中国局部抗戦」と題した満州事変に関する展示で、田中義一内閣(1927年4月~1929年7月)の時に、日本で対中侵略のシナリオが練られたことが、示されていた。
だが、全体的に記述が粗っぽく、例えばこのほど全3巻が出揃った川田稔名古屋大名誉教授の『昭和陸軍全史』の記述とは、やや異なっている。
それでも満州事変を、「世界の反ファシズム戦争の序幕」と捉えているのだ。
第二室は「全民族抗戦」、すなわち1937年7月に始まった日中全面戦争である。
中国全土の巨大な地図が掲げられていたが、それは中国人民が、いかに全国的に抗日戦線を展開していったかという地図だった。
日本で見慣れているのは、日本軍がいかに中国全土を侵攻していったかという地図である。
上海をいつ陥落させ、南京をいつ陥落させ……といったものだ。
実際に日本軍は、短期間のうちに破竹の勢いで進軍を続けた。
だがこの博物館の地図は、進軍の矢印が、逆の方向を向いているのである。
しかも、「中国共産党」の旗を立てた豪華なジープが進軍している写真まで添えられている。
この展示を見ると、中国は一時的に日本軍に侵略されたものの、すぐさま全中国人民が決起し、東シナ海の向こうに日本軍を追い出してしまったかのように映る。
展示によれば、1940年8月20日から12月5日までの「百団大戦」によって、2万645人もの日本軍人を斃し、5759丁の拳銃を奪取したという。
全国民が一致団結していた証拠として、「河北省東部で決起する中国人民のために衣服を提供していた機織り機」なるものまで、大仰に展示されていた。
その地図を、車椅子に引かれた高齢の老人が、感慨深げに見入っていた。
すると、傍に立っていた二人の女子高生が、その老人に話しかけた。
「当時の話を聞かせてもらえませんか?」
老人は笑みを浮かべて、思い出話を始めた。私も聞き耳を立てた。
「私は当時、医者の卵で、1943年に3人の幹部について戦場に入った。
八路軍(人民解放軍)は主に東北地方に展開し、勇敢に日本軍と戦った。
われわれ医官たちも従軍し、八路軍の傷病兵ばかりか、多くの民間の傷病者たちを助けた。
だが私は、ほどなく山東省に戻り、そこで解放の日を迎えた」
老人は山東訛りがひどく、女子高生も私もなかなか聞き取れない。
そのため、車椅子を引いていた孫娘の女性が一語一語、北京語に「通訳」してくれた。
■確実に「風化」が進む中国人の反日感情
奥に、ひときわ賑わっている一角があった。
第4室「日軍暴行」で、「死者300000余人」の数字が大きく掲げられている。
南京大虐殺のコーナーだ。
日本軍によって裸にされ輪姦されたという女性が、手足の原型をとどめないような格好で殺されている大きなパネル写真が飾ってあった。
また、慰安所の設置に関する費用を記述した日本軍人による便箋も展示してある。
よく見ると、便箋は満州銀行のもので吉林省について書かれていて、南京大虐殺とは無関係だ。
また、ハルビンの「731部隊」の展示までが、一緒になされていた。
石井部隊の施設を空撮した大きなパネル写真の他、日本軍が使っていたという毒ガス用マスクなどが展示されている。
観覧者たちは無言のまま、大書された標題と写真を見ている。
そして「雰囲気として」悪の日本という気持ちを醸成させ、去っていく。
だが、時代の変遷も感じた。
いまから20年ほど前に、初めて南京の大虐殺記念館を訪れた時のことを思い出した。
その時の大虐殺記念館の観覧者は、私と高校生の修学旅行一行だけだった。
そこには、「百人斬り`超記録`向井106-野田105 両少尉さらに延長戦」という見出しの東京日日新聞の記事(1937年12月13日付)が巨大なパネル写真になって掲げられていた。
野田巌少尉と向井敏明少尉による、日本刀での中国人百人斬り競争の武勇伝を称える記事だった。
この記事は終戦後、物議を醸し、両少尉はわざわざ南京に引き戻されて、1948年に処刑された。
そのパネル写真の前に立った高校生たちが、「日本鬼子」などと言って、歯ぎしりしだした。
その時、引率していた女性教師が、興奮気味にパネル写真にしがみついて叫んだ。
「日本鬼子を打倒せよ!
こいつらの蛮行を絶対に許さない!」
部屋に響き渡る声に、慌てて博物館の係員たちが駆けつけて、その女性教師を取り押さえた。
「お気持ちは理解できますが、冷静になってください」
その光景は、「百人斬り」のパネル写真とともに、私の脳裏に鮮明に焼きついている。
そのため今回も、南京大虐殺の部屋だけは、覚悟をもって足を踏み入れた。
ところが、そこでは20年前とはまったく異なる光景が展開されていた。
何と二十歳くらいの新人公安女性(婦人警官)たちが、Vサインをしながら、ニッコリ笑って記念写真を撮っていたのである。
彼女たちにとっては、あくまでも「記念の場所」ということなのだろう。
思い起こせば、訪日する中国人も、この20年で大きく変わった。
中国の観光ガイドブックには決して出ていないが、昔も今も、中国人の東京観光で密かに人気なのが、靖国神社である。
日本の首相が参拝するとかしないとかで大騒ぎする靖国神社を、中国人はひと目見てみたいのだ。
私は過去20年間で、少なからぬ中国の知人を靖国神社に案内した。
20年くらい前の中国人は、あの砂利道を進みながら、徐々に身体が強ばってきて、日本に対する敵愾心を沸々とたぎらせていたものだ。
ところが最近の中国の若者たちは、喜々としてスマホで写真を撮っては、「微信」(WeChat)で友人たちに送るのだ。
それは銀座のラオックスで喜々として「爆買い」している姿と、何ら変わらない。
いまの中国の若者にとっては、靖国神社もまた、「記念の場所」に過ぎないのである。
8月7日付の『読売新聞』に、中曽根康弘元首相(97歳)が寄稿していて、その中で中国人や韓国人の心情に言及し、「民族が負った傷は3世代100年は消えぬものと考えなければならない」と書いている。
まことにその通りと思うが、その一方で、この20年間で見ても、確実に「風化」が進んでいることを実感する。
■「歴史を直視し日中友好 永久の平和を祈る」
展示は、
第5室「東方主戦場」に続いて、
第6室「多くの助力を獲得」に入った。
この部屋は、「国際社会は中国人民の正義の戦争を積極的に支援した」という展示である。
その中に、「中国は朝鮮の独立運動を支持していた」という詳細な解説があった。
おそらく、習近平主席と朴槿恵大統領との「蜜月関係」を、如実に反映させたものだろう。
ちなみに、1919年から1937年まで中国国内で「朝鮮臨時政府」を置いていたのは上海で、その跡地は「上海の原宿」とも言うべき「新天地」のすぐ隣にある。
韓国人を乗せた観光バスがひっきりなしに訪れ、韓国の歴代大統領はその鄙びた建物に寄付するのが習わしになっている。
盧武鉉大統領などは、かつてその建物の主だった金九の末裔を、上海総領事に抜擢したほどである。
だが、中国人は何の興味もなく、ある上海市政府の知人は、「このボロ家のために新天地の増改築ができない」と嘆いていた。
習近平時代になってからは、こうした韓国と関係する建造物を取り壊すどころか、増築している。
西安には韓国人の抗日パルチザンの碑を建てたし、ハルビン駅裏には、伊藤博文元首相を暗殺した韓国青年・安重根の記念館を建ててしまった。
さて、第7室が「偉大な勝利」のコーナーだった。
「日本のファシズム侵略者は、徹底した失敗に遭った」と記す。
1945年9月9日に南京で行われた中国戦区の投降式で、岡村寧次総司令官が頭を下げるシーンが、短い映像を加えて展示されていた。
中国は、計171万4000人の敵(うち日本軍人52万7000人)を殲滅させ、銃器69万丁あまり、大砲1800門あまりを押収したと、誇らしげに記されている。
わざわざ透明ガラスで造られた床の下に、日本軍から押収したという銃が並べられていて、観覧者たちがそれらを踏みつけながら、勝利の味を噛み締められるような設定にしている。
「勝利」の後には、毛沢東が1945年6月19日に、「中国共産党第7回全国代表大会」の閉幕式で述べた言葉が刻まれていた。
〈 わが党の指導の下、
本の侵略者を打ち負かした。
全国の人民を解放し、新たな民主主義の中国を建国するのだ 〉
その前では、先ほどは静かにVサインをしていた公安女性たちが、今度は堂々のガッツポーズで写真を撮っている。
最後の第8室は、「歴史を銘記する」である。
2013年1月25日に習近平総書記が山口那津男公明党委員長と会談した写真、2014年11月10日に北京APEC(アジア太平洋経済協力会議)で安倍首相と習近平主席が初会談した時の写真、及び今年5月23日に二階俊博自民党総務会長一行が訪中した際に、習近平主席が講話した写真が飾られていた。そして次のような「習近平語録」を記す。
〈 中日双方は、歴史を鑑として未来に向かう精神を持たねばならない。
ともに平和発展を促進し、世代世代の友好を図ろうではないか。
そして両国の美しい未来の発展を共に創り、
アジアや世界に向けた平和に貢献しようではないか 〉
その横には、2014年11月7日に、谷内正太郎内閣安全保障局長と楊潔虎国務委員とが結んだ
「日中4原則コンセンサス」まで全文が記されている。
続いて、どこかで見覚えのある顔だと思ったら、村山富市元首相が、首相時代の1995年5月3日に、この記念館を訪問し、揮毫した時の写真が飾られていた。
「歴史を直視し日中友好 永久の平和を祈る」……。
これが村山元首相が揮毫した言葉である。
私はこの時、取材で北京に来ていたが、当時の外務省職員は、
「中国側がどうしてもというので、『歴史を直視し』という一語を加えた」
と述べていた。
その村山元首相は、91歳になった現在、安保法案反対の急先鋒として、国会前で70歳も年下の学生たちに交じって演説したりしている。
先日、記者会見に行ったが、矍鑠として述べていた。
「安保法案を通すと、アジアで軍拡競争が起きる。
軍拡競争が起きると、どこかで日本が近隣諸国と衝突する。
衝突すると、それが引き金になって戦争になる。
だから戦争をしないために、絶対に安保法案を通してはならない」
安倍晋三首相は、村山首相が1995年8月15日に発表した「村山談話」を「修正」するかのような「安倍談話」を、8月14日に閣議決定しようとしている。
安倍首相は「未来志向」を説き、少なからぬ日本人は受け入れているように見受けられるが、中国側には受け入れられない。
「過去の侵略への十分な謝罪と反省があってこそ、未来が築かれるのだろう」
というわけだ。
これに対し、この記念館では散々と「悪の日本」を演出していながら、最後は習近平主席と安倍首相が握手する写真となる。
これは中国側からすれば「ごく自然な流れ」なのかもしれないが、日本人の私からすれば、やや違和感を感じる。
こうした日中双方の「違和感の連鎖」が、戦後70年を経たいまでも、日中関係がギクシャクしている底部に残っているのだろう。
■日本は中国とどのように関わっていくべきか
それにしてもこの記念館は、
「習近平の習近平による習近平のための記念館」
という印象を持った。
最後は、2014年7月7日に、習近平主席がこの記念館で行った演説のビデオが、部屋いっぱいの巨大スクリーンに流れていた。
習近平主席が定めた「抗戦精神の碑」も建っていた。
習近平主席によって、9月3日が中国人民抗日戦争勝利記念日に定められ、12月13日が南京大虐殺死難者の国家公祭日に定められたことが記されている。
その脇には、参観者たちが感想を記すノートが置かれていた。
めくってみると、「日本鬼子を許さない!」「中国は日本を再び打倒せよ!」といった強烈な文句が、ノートに綴られていた。
私がノートをめくっていた時、一人の中年女性が、毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤、習近平の「5人の指導者」の写真の前で、声を張り上げた。
「毛主席、好! 鄧小平也好! 習近平主席、很好! 但是江沢民和胡錦濤、不好!」
(毛主席は素晴らしい、鄧小平も素晴らしい。
習近平主席は大変素晴らしい。
だが江沢民と胡錦濤は、よくない)
すると観覧を終えた中国人たちが、拍手喝采したのである。
その様子を見ていて、私は一つのことを理解した。
習近平主席は、王府井書店で専門書を買うようなインテリたちには見向きもされない。
だが、自ら2元のバスに乗って盧溝橋までやって来るような「老百姓」(庶民)には、圧倒的に支持されているのである。
まさに、かつての毛沢東主席の支持層と同じ構造だ。
実際、この記念館には、これだけ習近平政権を挙げて盛り上げているというのに、館内の売店に関連図書を1冊も置いていないのである。
あるのは記念切手とか盧溝橋の模型などだ。
建物の外にも民間人が経営している売店があったので入ってみたが、売れ筋は「抗戦勝利70」と書かれた55元のTシャツだという。
北京市内の地図はあったが、やはり書籍類は皆無だった。
それにしても、中国の群衆を見ていると、いつも砂漠の砂を想像してしまう。
一かけら一かけらバラバラに存在している砂だが、大量に積まれると、万里の長城を築いてしまう。
だがそれは「砂上の楼閣」かもしれず、常に危うい状態に置かれている……。
そんな中国とどう関わっていったらよいのか。
これは隣国に住む日本人にとって、永遠の命題だろう。
〈後編につづく〉
』
『
『習近平は必ず金正恩を殺す』
著者: 近藤大介
(講談社、税込み1,620円)
中朝開戦の必然---国内に鬱積する不満を解消するためには、中国で最も嫌われている人物、すなわち金正恩を殺すしかない! 天安門事件や金丸訪朝を直接取材し、小泉訪朝団に随行した著者の、25年にわたる中朝取材の総決算!!
『日中「再」逆転』
著者: 近藤大介
(講談社、税込み1,680円)
テロの続発、シャドー・バンキングの破綻、そして賄賂をなくすとGDPの3割が消失するというほどの汚職拡大---中国バブルは2014年、完全に崩壊する! 中国の指導者・経営者たちと最も太いパイプを持つ著者の、25年にわたる取材の集大成!!
』
【中国の盛流と陰り】
_