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東洋経済オンライン 2015年07月28日 劉 瀟瀟 :三菱総合研究所 研究員
http://toyokeizai.net/articles/-/78323
なぜ「ドラえもん」は中国人の心を動かすのか
たった1カ月で興行収入が100億円を突破
●中国での『STAND BY ME ドラえもん』の上映期間はわずか1カ月強だったが100億円超の興行収入に。中国人の心をつかむ「ドラえもん」の周辺には、中国市場攻略のヒントがある(写真:共同通信)
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「戦後70年」が近づいてきた。アジアで最も大切なはずの日中関係は、政治面では「安倍首相談話」や「尖閣諸島」の話になりがち。
だが今年上半期の訪日中国人旅行客は217万人(前年同期比約2.2倍)と過去最高を記録した。
一方、中国でもユニクロや無印良品などは飛ぶように売れており、中国人や中国マーケットの重要性は増すばかりだ。
そこで、今回から数回に渡って、三菱総合研究所の中国人女性研究員である劉瀟瀟(りゅう しょうしょう)氏に、「日本人が意外に知らない中国人の消費マインド」などについて分析してもらう。
第1回は、「なぜ『ドラえもん』は中国人に深く愛されるのか」についてお送りする。
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■約1カ月で収入100億円超、中国史上最高規模のアニメに
映画『STAND BY ME ドラえもん』の中国大陸での興行収入は、2015年5月28日初演当日2708万元(約5億円)、6月26日(興行終了日)までの累計収入は5.3億元(約106億円)を記録、中国で公開されたアニメ映画の興行収入の最高記録に迫った。
これまでの最高記録は2011年公開の『カンフー・パンダ2』(米国)が6.1億元で、この記録は抜けなかったものの、『STAND BY ME ドラえもん』の日本での興行収入は83.8億円(2014年)で、中国での興行収入が上回っている。
中国国内でのSNSを日本語風に訳すと、
「哆啦A梦(ドラえもんの中国名)懐かしかった!! めちゃめちゃ泣いた~」
「ドラえもん、のび太、静香は最高!!」
「子供の頃大親友だったドラえもん、ありがとう! さようなら」な
どの感動に溢れた書き込みが、まさに「めちゃめちゃ多かった」のである。
なぜ、『STAND BY ME ドラえもん』は、中国で日本以上の大人気となったのだろうか。
中国でテレビアニメの『ドラえもん』の放映が開始されたのは1991年。
それゆえ中国のドラえもんファンは、「80後」(1980年代生まれ)、「90後」(1990年代生まれ)が多いと思われる。
彼らのほとんどは一人っ子だ。
一人っ子にとって、ドラえもんはヒーローである。
中国では1979年から「一人っ子政策」が始まった。
そのあとに生まれた人たちの親は、ほとんど共働きで、朝から晩まで忙しい。
もちろん祖父母が面倒をみてくれるケースも多いが、一緒に遊んでくれる兄弟や姉妹はいない。
■「寂しいダメ人間」を支えてくれるドラえもん
年齢が近い親戚がいても、たまにしか会えない。
幼稚園や学校で数時間友達と一緒に居られるが、家に戻ったら、両親だけでなく祖父母まで不在か家事で手一杯で、自分の話を聞いてくれる余裕がない。
独りで時間を潰すしかない(日本では2人兄弟が多いのに、ドラえもんに助けてもらう主人公のび太が偶然一人っ子と、中国的な設定になっているのも不思議だ)。
そんな時、登場したのが、心の底から欲しい「仲間」のドラえもんだ。
実は、のび太のように、遊び相手も少なく、自分が「ダメ人間」だと思う、「寂しい子供(特に男の子が多い)」は、中国には非常に多い。
『ドラえもん』のテレビ放映が始まった頃、「一人っ子政策の第1世代たち」は、ちょうど小学校高学年で、のび太たちとほぼ同じ年齢であった。
そして何より、他の中国アニメのような完璧な主人公ではなく、リアル感のあるアニメだったのである。
家や学校でのシーンも、アニメとほぼ同じであった。
主人公と同じく、学校で良い成績を取れず、クラスメートにはいじめられる。
家に帰ったら、母親はいつも背中を向けて何かしていて、今日学校であった話をしようとしても
「だめだよ」
「いい子にしなさい」
「あ、そう」
程度しか話さない。
好きな女の子もいるが、「僕ではだめだろう」とため息をつく。
頭の中でいちばん思うことは、「どうすればいいんだ」である。
中国も経済発展に伴ってテレビが急速に普及し、独りぼっちの中国の子供にテレビという「仲間」ができ、アニメを見るようになった。
子供向けのアニメや番組が少なかった当時、「ドラえもん」が中国の子供の心をとらえたのである。
子供たちは
「のび太も僕と同じ悩みをもっている」
「私は独りじゃなかった」
と共感した。
しかし、実はドラえもんがもっとも子供たちにとって魅力的なところは、
どうすればいいのかわからない時、相談に乗ってくれ、助けてくれることである。
仲間と力を合わせれば、魔法を使って、何か変わるかもしれない。
そこでは自分の夢が実現する。
のび太の仲間であるドラえもんは、テレビの前に座っている中国の少年たちが求めている人物とぴったり重なり、少年たちに夢の力を与えたのだ
(「ドラえもん」の中国語名は「哆啦A梦」と音訳されているが、
最後の「梦」は「夢」の簡体字である。
これは「夢の世界につながる」という意味に解釈されている)。
■大人になって、現実の厳しさを知った小皇帝たち
この文脈の中で言えば、「80後」「90後」の若者が成人となった後、
競争社会に疲れて癒やしを求めているのも、「ドラえもん」が大ヒットした理由だろう。
彼らは一人っ子で寂しい子供時代を過ごしてきたが、家の中では「小皇帝」として祖父母・両親から大事にされ、過保護・過干渉の状況で育てられてきた。
しかし、「80後」、「90後」だけで人口は約4億人もいる。
つまり、この層だけで日本の全人口の3倍を大きく上回っており、厳しい競争の中で生きてきた。
彼らは、子供の頃
「あなたは勉強だけすれば良い」
「ほかのことを一切考えなくて良い」
「遊ぶ暇があったら勉強・ピアノでもしなさい」
「友達もライバルだ」
と言われ育ったのである。
したがって、友達と思う存分遊ぶこと、仲間と遠慮せずに腹を割って付き合うことは、彼らにとって程遠い話である。
つまり、彼らにはドラえもんとのび太のような関係が欠けており、現実には、癒やされる「心の拠り所」はほとんどないに等しい。
中国の若者には、
勉強を頑張ったがうまく行かず、
政府の政策による大学入学者数の増枠でなんとか入学、
だが、結局はぶらぶらと4年間を過ごして卒業……、
そして家族のコネを使ってなんとか就職ができた、
という人が少なくない。
彼らは社会に入ると、大人の世界が面白くないことがすぐにわかる。
家族の中心だった若者は、寂しく不自由ではあったが、庇護された環境下で勉強だけすればよかった。
しかし、社会人になり、甘くない社会の現実を知り、精神的に疲れている。
この現実社会の厳しさは親に伝えても、「就職できたことだけでも感謝しろ」と言われるのがオチである。
自分の面子(メンツ)が失われるから、友人も相談できない。そのため、疲れた時、心が折れそうになった時に、ドラえもんの映画のように癒やされるものを求めるようになっているのではないか。
さらに中国の「3世代消費」ということにも「ドラえもん」は当てはまる。
ハリウッドの人気映画と違い、殺伐さはなく「ほんわか」としたテーマ設定の「ドラえもん」は、「80後」「90後」を癒やすだけでなく、彼らの両親や子供までファンにしている。
今や親となった「80後」「90後」は、一人っ子の寂しさを嫌と言うほど味わってきたので、自分の子供にはそんな思いをさせたくない。
子供の頃、「ドラえもん」が与えてくれた夢の世界と素敵な仲間に救われたので、彼らは自分の子供に見せたいのである。
また、なによりも「ドラえもん」は、自分の両親もよく知っているキャラクターなので、3世代で安心して鑑賞することができる。
一人の80後のファンがいれば、妻・子・両方の親を含め、家族6人で行くことにもなるので、大ヒットにつながりやすい。
■中国女性に人気の「暖男」のイメージにも合致
最後に、最近、
中国女性の心をつかんでいる「暖男」のイメージにドラえもんが一致している
ことを指摘しておこう。
一般に中国女性は気が強く、そうとうの経済力や社会的地位がある男性だけを相手にすると思われている。
だが、実は近年自国や韓国ドラマの影響で「暖男(ヌアンナン)」という男性のタイプが中国女性に非常に人気である。
一見普通ないしはやや小太りで、おカネもあるわけでもないが、いつもそばにいてくれていろいろ自分のことを考えてくれる男性を、「暖男」と呼んでいる。
ドラえもんという存在は、この「暖男」のイメージとぴったり一致する。
ドラえもんを、中国女性が愛おしく「蓝胖子(青ふとっちょ)」と呼んでいるのも、そうした理由もあるに違いない。
ドラえもんシリーズは、心の拠り所がない中国の若者の寂しさを埋めてきた。
「一番にならなくては」
「自分が解決しなくては」
といつもプレッシャーを感じている男性に、「静香ちゃん」という恋愛対象、「ドラえもん」という「優しい仲間」を用意し、希望を与えてきた。
一方、シンデレラストーリーのような非現実な夢より、身近な「暖男」の方がいいと思うようになった女性にも、「ドラえもん」は優しく寄り添ってくれる。
今後、競争社会に出てストレスや寂しさを抱える一人っ子は、ますます増える。
すでに社会に出た一人っ子も年齢を重ねるにつれ、さらに疲弊するばかりだ。
コンテンツ産業はもちろん、これから中国向けのマーケティング戦略を立てる時、
彼らが求める「癒やし」を提供
していくことが重要だ。
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