2015年8月15日土曜日

戦後70年談話:戦後を終わらせてしまった中国の外交ベタ、日本歴史の分岐点へ

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  安倍談話への中国・韓国の反応が鈍い。
 天津爆発事故という思いもよらぬアクシデントにより、中国の安倍談話に対する矛先が鈍っている
ようである。
 安倍談話より足元の大爆発事故の処理が優先してしまうのはしかたがない。
 また韓国としては大きく反発したいところだろうが、アメリカ訪問のスケジュールから釘をさされている。
 安倍さんにとっては、タイミング的に運がいいと言えるだろう。
 振り返ってみると、思うのだが
 この人のツキは異常なほどである。
 いつまで続くか、そこが問題だが。
 民主党は2011年の東日本大震災、2012年の尖閣諸島問題の中国の反日デモというアクシデントをまともに受け止めてしまった。
 その不幸を民主党から受け継いだ安倍さんは
 それを上手に、かつ、したたかに利用
して、
 戦後風の自虐的雰囲気を一掃して、
 新しいポジテブな社会状況を作り出して
しまった。
 時代がこの人に微笑んでいるとしか思えない。

 まず、
 「お詫びと反省」という惰眠を貪っていた経済大国日本を強引に叩き起こしたのは中国
だということ。
 日本から世界経済ナンバー2という称号を奪ったという奢りで、惰眠の枕を蹴飛ばして日本を眠りから引きずりだしてしまった。
 この中国の後先を考えない粗暴な振る舞いが歴史をガラリと変えてしまった。
 2012年の中国官製反日デモをきっかけに、日本は目覚めさせられてしまった。
 というより中国にブルブルと揺り動かされて、フラフラしながら起きてしまった、と言った方が適切かもしれない。
 そして、その寝起きのフラフラからシャキッツと普通のいわゆる常態に戻ったのが今。
 ここ3,4年を振り返るとそんな感じで表現できるのではないだろうか。
 中国の恫喝が日本を目覚めさせ、「戦後」というものを過去の歴史に遠ざけてしまった
ということであろう。
 日本は戦後を通り抜け、新たに中国と向き合わねばならないという歴史
の歩みに身を投じぜざるを得なくなっている、そんなところだろうか。
 いわゆるそれが
 『日本の新常態』 が始まりつつある
ということであろう。
 キャッチコピーなら
 『戦後からニューノーマルへ』
だろうか。
 戦後時代は終わり、新しい歴史を刻むニューノーマル時代へ入りつつあるようだ。
 安倍さんはニューノーマルな日本を『普通の国』と表現していた。
 『新常態の日本』『ニューノーマルな日本』、同じようなものであろう。

 事の始めは、あまりにも下手な中国外交といえる。
 日本をうまく丸め込んでいいとこ取りをすればよかったのだが、
 成金のサガでつい強圧的に出てしまい、
 これまでの関係を壊して、相手を窮鼠にしてしまった。
 アホな外交である。
 国際舞台に不慣れな外交ベタのツケが、日本を中国の敵対的関係に追い込んでしまっている。
 中国は「強く出れば日本は引っ込む」と判断したのだろう。
 しかし、逆目が出てしまった。
 日本とはうまく外交すれば、容易に懐柔できる「お詫びと反省の国」だった
のだが。
 その外交ができなかったところに中国の奢りと弱みがある。
 硬直化した外交と、時をみて脱皮する柔軟な外交、中国と日本のようである。

 ご存知のように、
 日本は外圧がかからない限り動かない、という民族的性質をもっている。
 中国はそれを利用すべきであった。
 アメリカはルース・ベネデイクトをはじめとして、これでもかこれでもかと日本を研究して乗り込んできている。
 中国は日本を単なる「化外のちっぽけな国」という侮蔑感覚で恫喝してしまった。
 この恫喝は
 過去に中国に負けたという経験をもたない日本
にとっては、中国などはさほど恐れる国ではない、という意識のあることを忘れていた。
 だが、確かに隣に鎮座する人口11倍の中国の圧力はすこぶる重たい。
 そのためこの恫喝は日本を大きく、あまりに大きく変えてしまった。
 日本は過度の外圧がかかると、すこぶる柔軟にそれを取り込んで信じられないほどの変身を遂げるという特技
も持っている。
 明治維新しかり、戦後の経済発展しかりである。
 今回の変身もそれに当たる。
 アッという間にゴロンと日本社会全体のの雰囲気が変わってしまった。
 ほんの数年前までは嫌われものであった自衛隊が、いまやヒーローになりつつある。
 この変わり身の早さは実にドラマチックである。
 論理的ではない。
 感性的である。
 明治維新はアメリカ、イギリス、フランスといった先進国。
 敗戦後はアメリカの軍事・経済力。
 そして今回は中国の軍事恫喝。 

 さて『日本の新常態:ニューノーマル』は今後どんな道筋を描いていくのだろうか。
 それは
 いかに中国から多くの「恐怖」というメッセージを引き出せるかにかっかってくる。
 それを最大限に取得・利用することが政府の能力になる。
 その多いさで日本の変身度のレベルがが変わってくる。


ロイター  2015年 08月 14日 20:51 JST
http://jp.reuters.com/article/2015/08/14/abe-statement-postwar-idJPKCN0QJ0UH20150814?sp=true

戦後70年談話、「謝罪の宿命背負わせてはならない」

[東京 14日 ロイター] -
 安倍晋三首相は14日、戦後70年談話を発表。先の大戦に関わりのない子孫やその先の世代には、
 「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」
とする一方、
 「謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任がある」
と強調した。

 焦点の1つだった「おわび」の表現については、
 歴代内閣がこれまで「痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」ことを踏まえ、こうした立場は「今後も揺るぎない」とした。

 過去の行いについて「事変、侵略、戦争」の3つを挙げ、今後いかなる武力の威嚇や行使も二度と用いてはならないとの決意を表明。
 罪もない人々に「計り知れない損害と苦痛」を与えた事実を直視し、戦争で命を失った人々に対する「痛惜の念」を表した。そのうえで、植民地支配から永遠に決別することを誓った。

■<不戦のメッセージを強調>

 安倍首相は記者会見で「最も重要なのは不戦のメッセージ」と強調した。

 焦点だった「植民地支配」や「侵略」「おわび」などの文言について、今回の談話では1995年の村山富一首相談話や2005年の小泉純一郎首相談話とは異なる形で表現された。
 首相は「戦後80年、90年、100年に向けて、日本が目指すべき国家像をできるだけ多くの国民と共有できるように談話を作成した」と説明。

 また「おわびの気持ちは戦後の内閣が一貫して持ち続けてきた」とし、「私の内閣でも引き継いでいく」と述べた。

 「侵略」については、談話のなかで「事変、侵略、戦争」との語を列挙した点に触れ、
 「どのような行為が侵略かは、歴史家に判断をゆだねるべき」
と述べるにとどめた。

 中国に対しては、「安倍談話をありのまま受け止めて欲しい」と指摘。
 「中国とは関係改善していくことで一致している」
 「中国に対して日本の対話のドアは常にオープン」
と強調し、機会があれば日中首脳会談を実現したいとの意欲を強調した。

 安保法案について、安倍首相は「特定の国を想定したものでない」と語り、同時に
 「ウクライナや南シナ海、東シナ海などで、力による現状変更は許すことできない」
とも指摘した。

 今回の談話では、国際秩序への「挑戦者」となってしまった過去を胸に刻み、今後は「積極的平和主義」の旗を掲げ、世界の平和と繁栄に貢献する考えを示した。

 また、女性の人権についても触れ、戦場の陰で「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも忘れてはならない」とし、21世紀は女性の人権が傷つけられることのないよう世界でリーダーシップを発揮することも盛り込んだ。

 また、戦後50年の村山談話と同様、唯一の戦争被爆国として「核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指す」方針も示した。



時事ドットコム (2015/08/15-09:12)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015081500106

安倍談話「歴史認識の後退」=
誠意欠如と批判強める-中国国営メディア

 【北京時事】安倍晋三首相が14日に発表した戦後70年談話について、中国国営新華社通信は15日に配信した論評で
 「『侵略』や『おわび』などのキーワードを有名無実にし、歴史認識問題で(戦後50年の)『村山談話』と比べて明らかに後退している」
と批判した。

 15日付の共産党機関紙・人民日報も「キーワードは含まれたが、文脈や誠意という点で村山談話との隔たりは大きい」として「誠意の欠如」を強調した。
 中国外務省も14日深夜、安倍談話に関して
 「被害国国民に真摯(しんし)におわびし、ごまかしを行ってはいけない」
と反発するコメントを発表するなど、批判キャンペーンを強めている。
 
 新華社通信の論評は、
 「村山談話では、言及された『植民地支配』と『侵略』の主体が『わが国』、つまり日本であり、『反省』と『おわび』の主体は『私』、つまり日本政府と全国民を代表する首相だった」
と指摘。
 れに対して安倍談話では
 「反省やおわびが歴代日本政府の歴史認識への回顧として間接的に述べられている」
とし、
 「その種のやり口で世間を欺くことはできない」
と主張した。
 また
 「安倍談話は20年前の村山談話の高みを超越できないばかりか、戦後日本政府による反省やおわびが前面に出された歴史認識にピリオドを打とうとしている」
と批判。
 その上で
 「日本の戦後の復興や平和国家をつくった先人に対する裏切りであるだけでなく、日本の後世に責任を負っておらず、日本が真にアジア隣国や国際社会の信頼を取り戻すことも難しい」
と厳しい評価を下した。



サーチナニュース 2015-08-15 12:07
http://news.searchina.net/id/1585347?page=1

安倍首相談話、台湾は批判せず
・・・「日台はすでに、アジア各国が戦争の影を脱却する最良のモデルだ」

 台湾(中華民国)政府は14日、安倍晋三首相が同日に発表した戦後70年に際しての談話について論評した。
 首相談話に対しての批判的言辞はなく、中華民国と日本は
 「すでに、アジア各国が戦争の影から抜け出し、和解と協力を達成する最も良好なモデル」
などと、日本との友好関係を強調した。

 安倍首相談話の主要部分については、
 「日本の歴代政府の立場を踏襲し、日本が過去に戦争を発動した過ちを反省」、
 「日本は深い悔悟と謝罪をし、国際社会の平和と繁栄のために貢献をしてきたと説明」
などと、比較的簡単に触れるにとどめた。

 自国政府の立場としては、
 「日本政府が今後も歴史の事実を正視し、深く反省し、展望ある考え方と責任ある態度で、周辺国家との友好協力関係を発展させ、地域の平和と繁栄のために共に努力するよう望む」
と表現した。

 自国と日本の関係については
 「戦後、堅実な友好関係を築いた。すでに、アジア各国が戦争の影から抜け出し、和解と協力を達成する最も良好なモデルとなった」
と成果を強調した。

 さらに、日台が
 「日台漁業取り決め(台湾側呼称は『台日漁業協議』)」
を結び
 東シナ海を「平和と協力の海」にした
として、尖閣諸島の問題でも、双方が話し合いで成果を出したと主張した。

**********

◆解説◆
 「日台漁業取り決め」は日本と台湾が結んだ、尖閣諸島近くを含む台湾と沖縄周辺での漁業についての取り組み。
 日本は、排他的経済水域の一部について、台湾漁船の操業を認めた。

 同「取り決め」は、尖閣諸島周辺の日本の「領海」までは対象にしていないが、台湾政府にとっては自国の漁場を拡大させ、その成果を国民にアピールできることになった。

 日本にとっては、
 尖閣諸島問題についての台湾と中国大陸側の「万が一の連携」の可能性を、大幅に減じることになった。
 また、実務問題についての交渉で、相手側が領有権の主張のこだわり続けなければ、
 「相手側の立場に配慮する場合もある」
という姿勢を示したことになる。
 ただし日本では、自国の漁業関係者の利益を損ねるとの批判も出た。

 日本と台湾(中華民国)には外交関係がないため、同「取り決め」は政府間協定ではなく、双方の窓口機関である財団法人交流協会(日本側)と台湾側の非政府機関である亜東協会の合意事項との形式になった。
 日本側呼称が「協定」ではなく「取り決め」であるのも、政府間協定でないと明示するためだ。



読売新聞 8月16日(日)3時12分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150815-00050108-yom-int

首相談話で「中台を並列」…中国紙社説が不快感

 【北京=五十嵐文】
 15日付中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報は社説で、安倍首相が戦後70年談話で
 「台湾、韓国、中国」の順で並列して言及した
ことについて、「『一つの中国』の原則に深刻に違反する」として不快感を示した。

 社説では、談話は
★.「台湾、韓国、中国」を「隣人」とし、
 台湾を「国家」と位置づけることは避けたが、韓国を間に挟んで中国と台湾を別々に扱うことは
 「中国と国交のある国の公式文書では自主的に避ける」
と主張。
 その上で、
★.中国と台湾をめぐる談話の扱いは安倍首相の意図的なもので、中国への嫌がらせ
だと批判した。


サーチナニュース 2015-08-15 14:19
http://news.searchina.net/id/1585348?page=1

安倍首相談話
・・・「間接的謝罪」に対して中国政府は「間接的な不満表明」

 中国政府外交部は14日、「記者からの質問に答える」形で、安倍首相が同日発表した、戦後70年に際しての首相談話を論評した。
  安倍首相談話は、注目されていた「お詫び」などの文言を盛り込んだが、自らの言葉ではなく
 「今後もゆるぎない歴代内閣の立場」
とした。
 中国政府は談話に対する直接の批判は避け、従来の主張を繰り返すにとどめた。

 中国政府・外交部は、記者からの質問に対する華春瑩報道官の回答との形式で、自らの主張を表明した。
 中国政府が個別の問題についての考えを発表する際に、しばしば用いる手法だ。

 記者からの問いは
 「日本の安倍晋三首相は戦後70周年の首相談話を発表しました。
 中国側はどのように評しますか?」
とした。

 華報道官の発言の冒頭は、
 「中国側は日本の指導者の関連談話に注目している。
 外交部の張業遂副部長(副大臣)は日本の木寺昌人大使に対し、中国側の厳正な立場を表明した」
だ。

 張副部長は、
 「日本軍国主義が戦争を発動したことにより、中国とアジアの被害国人民が深刻な災難をこうむったこと」や
 「歴史を銘記し、正義の要求を守ることが、日本とアジア隣国の関係を改善する重要な基礎であり、未来を開く前提になる」
と主張。

 さらに、
 「日本は軍国主義の侵略戦争の性質と戦争の責任に対して明確に表明し、被害国人民に対し誠意ある謝罪をし、軍国主義の歴史と徹底的に決別すべきだ。
 この重大な原則問題については、いかなる覆い隠しもすべきでない」な
どとつけ加えたという。

 張副部長の発言として発表した内容は、これまでの中国政府の立場を繰り返したものだ。
 安倍首相の談話が「間接的な謝罪」などにとどまったことに対する不満が読みとれるが、中国政府としても「直接の批判」を避けた。

 華報道官の発言部分には「安倍首相」との名称もなかった。中国政府として、相手に対する「明確な批判」を際立たせない考えがある場合に、しばしば用いる手法だ。



JB Press 2015.8.17(月) 宮家 邦彦
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44547

安倍談話に沈黙する北京と対中懸念強めるワシントン
戦後70年安倍談話

 今回の原稿は週末ワシントンからの帰国便の中で一気に書き上げた。
 安倍晋三首相による戦後70年談話の発表は米国東部時間で8月14日早朝。
 米政府関係者とワシントンの日本大使館館員には朝早くから「ご苦労様」としか言いようがない。

 というわけで、今回のテーマは
 戦後70年談話をめぐる米中の温度差から垣間見える米中関係の行方
である。

■ホワイトハウス報道官声明

 安倍首相による戦後70年談話の発表は東京時間で8月14日午後6時、ワシントン時間では同日早朝5時だった。
 さらに、日本政府による諸外国に対する事前通報は、閣議決定である以上、東京時間で同日午後5時(ワシントン時間午前4時)から開かれる臨時閣議の後とならざるを得ない。

 そのような時系列の中でホワイトハウス報道官が「歓迎声明」を関係者にメール送信したのはワシントン時間の午前9時56分だった。
 たまたま同日10時過ぎに旧知の米政府関係者と雑談する機会があったが、その人物も既に同声明を持っており、早速筆者にもコピーをくれた。
 やはり持つべきは友人だ。

 さて、ホテルに帰ってこの一見素っ気ない米政府の短い正式声明を読み直してみた。
 元公務員の性なのか、行間から多くのことが読み取れた。
 10年前までこんなことばかりやっていたからか、どうもこの種の文書は行間が気になるのだ。
 筆者が注目した声明の内容と筆者のコメントをご紹介しよう。

●我々は、第2次大戦中に日本がもたらした被害に対し安倍首相が痛切な反省を表明したこと、および歴史に関する過去の日本政府の声明を引き継ぐというコミットメントを歓迎する。

We welcome Prime Minister Abe’s expression of deep remorse for the suffering caused by Japan during the World War II era, as well as his commitment to uphold past Japanese government statements on history.

【筆者コメント1】

 安倍首相の「痛切な反省の表明」を歓迎するということは日本に対し「お詫び」までは求めないということ。
 「過去の政府の声明」を引き継ぐことを歓迎するということは、米国政府の理解として、これらの声明の中に村山・小泉談話だけでなく、いわゆる河野談話をも含むことを暗示している。

●この(70年間の日本の平和・民主主義・法の支配へのコミットメントという)記録は
 世界のあらゆる国家にとってモデルとなる
ものだ。

This record stands as a model for nations everywhere.

【筆者コメント2】

 ここで重要なことは、名指しこそしないものの、
 戦後の日本を模範とすべき国家として中国や韓国を念頭に置いている
と思われることだ。

■中国の沈黙

 以上の通り、今回の米政府の反応は前向きかつフェアだったと思う。
 その点は同様の声明を発表した豪州なども同様だ。
 これに対し、今のところ中国側は静かで、安倍談話の内容そのものについて直接の批判は控えている。
 報じられている範囲内で中国側の反応をご紹介すれば以下の通りだ。

●中国側は日本の指導者の関連談話に注目している。
 外交部の張業遂副部長は日本の木寺昌人大使に対し中国側の厳正な立場を表明した。(14日、外交部報道官の応答内容)

●張副部長は、
 「日本軍国主義が戦争を発動したことにより、中国とアジアの被害国人民が深刻な災難をこうむったこと」や
 「歴史を銘記し、正義の要求を守ることが、日本とアジア隣国の関係を改善する重要な基礎であり、未来を開く前提になる」と主張した。(同上)

●日本は軍国主義の侵略戦争の性質と戦争の責任に対して明確に表明し、被害国人民に対し誠意ある謝罪をし、軍国主義の歴史と徹底的に決別すべきだ。
 この重大な原則問題については、いかなる覆い隠しもすべきでない。(同上)

●談話にある「お詫び」や「反省」は、歴代内閣の歴史認識を間接的に引用したにすぎず、日本側は(お詫びについて)直接の表明は避けた。(14日、新華社)

●「侵略」「植民地支配」「反省」と「お詫び」などキーワードはあるが、文脈、とりわけ誠意の面で「村山談話」とは大きな違いがある。
 日本が侵略と植民地支配の歴史に誠意を持って向き合わず、心から反省とお詫びをしなければ、国際社会から信頼を得られず、平和への貢献もない。(15日、人民日報)

【筆者コメント3】

 これは事実上の沈黙にも等しいのではなかろうか。
 報道官は「日本の指導者」にのみ言及し、安倍首相を名指していない。
 中国側の「厳正な立場」にも目新しい点はない。
 談話の個々具体的内容には批判を控えている。
 これには最近の中国側の対日政策の変化が関係しているのかもしれない。

 そもそも中国が対日政策を戦術的に変更したのは昨年の夏のことであり、
 中国側は安倍談話が村山談話と同じ内容にならないことをある程度覚悟していたはずだ。
 もし中国側にとって村山談話の完全踏襲が政治的に不可欠であれば、昨年11月と今年の4月の日中首脳会談はそもそも実現しなかっただろう。

 冒頭の米政府の「歓迎声明」が極めて明確かつ力強いものであったことも、中国側が的外れな対日批判を控えている理由かもしれない。
 やはり中国の最大関心事は日本などではなく、ワシントンが中国を見る目なのだ。
 当然だろう、9月には習近平国家主席の訪米が控えているのだから。

■ワシントンポスト社説

 そのワシントンの中国に対する雰囲気を象徴すると思われるのが8月15日付ワシントンポスト社説だ。
 「安倍首相の平和の申し出(Mr. Abe’s peace offering)」
と題するこの社説、副見出しこそ
 「明白な謝罪はないものの、日本の首相は日本がもたらした損害を認めた(Without outright apologizing, the Japanese premier acknowledges the damage his nation inflicted.)」
だったが、その真の対象は中国のようだ。

アジアでの歴史の直視には二重基準がある。
 中国政府関係者はその国民が、日本軍と実際には誰が戦ったか、
 大躍進時代に何百万の中国人が犠牲になったか、
 1989年天安門でいかなる弾圧があったか
などの20世紀の真実を学ぶことを許さない一方、
 日本政府の第2次大戦に関する公式声明の一言一句に注文を付ける権利があると考えている。
 このことは安倍談話を考えるうえで念頭に置くべきだ。

●日中両国には安倍首相がより明確に謝罪すべしという声もあるが、そう主張する日本人は、中国とは異なり、自らの指導者を批判する際、少なくとも政府による法的措置を恐れる必要はない。

●安倍首相が謝罪を繰り返さなかったことは悲しいことだが、同時に、今回の安倍談話は彼の批判者たちが懸念したよりも、はるかに和解志向であり、かつ非民族主義的である。

●どの国にとっても過去の醜い歴史を直視することは容易ではない。
 米国ですら南北戦争終了後150年経っても南軍関係者の銅像に是非について議論があるではないか。

●安倍首相と同様に、もし中国が過去の歴史の議論についてより開放的になれば、中国の隣国も南シナ海での中国の拡張主義的活動への疑念を減らすことができるだろう。

【筆者コメント4】

 米国ではワシントンポストよりもニューヨークタイムズの方が日本に批判的だが、それにしてもこの社説には驚いた。
 題材は安倍談話だが、主眼はむしろ中国批判だとすら思える。
 ちなみに8月16日現在、ニューヨークタイムズの安倍談話関連社説はない。
 批判が難しいからか、理由は不明だ。

■米国アジア村の反応

 最後に、米国のアジア専門家について一言。
 今回のワシントン出張は別件だったため、あまり多くのアジア村住人と意見交換をする機会はなかった。
 総じてい言えば、今回の安倍談話は事前の予想以上に内容面でバランスが良く取れており、談話を厳しく批判する向きはごく少数だと感じている。

 最近筆者は米国のアジア関係識者に対し、次のように言い続けてきた。

(1:従来から歴史問題で日本は国論が割れていたため中国や韓国の介入を許してきた。
(2):1995年に作られた村山談話は国論を収斂させるどころか、逆に左右の亀裂を深めてしまった。
(3):そのような亀裂を修復し、国論を収斂させることができるのはリベラルではなく保守の政治家だ。
(4):サダトと握手したイスラエルのベギン首相も、毛沢東と握手したニクソン大統領も、いずれも保守強硬派だったからこそ、国論の分裂が収斂し、新たなコンセンサスが生まれたのだ。
(5:されば、日本で歴史問題に関するコンセンサス作りが可能なのは保守強硬派の安倍首相である。
(6):今回の安倍談話をリベラル派が批判し、保守派が歓迎するようならば、歴史問題に関する国民的コンセンサス作りの第一歩となるかもしれない。

 そのことを理解し、将来の中国との競争に備えるべしと考える米国人識者は沈黙を守っている。
 これに対し、それを理解できないアジア専門家の一部は安倍政権を批判し続けるだろう。
 米主要紙の若いアジア特派員の大半は後者だが、幸い今回のワシントンポスト社説は前者を代弁する声なのかもしれない。 



JB Press 2015.8.18(火) 筆坂 秀世
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44554

戦後を終わらせる苦心の作、70年談話
終戦記念の談話はもうこれで最後に

 8月14日、内外の注目を集める中、安倍首相が戦後70年談話を発表した。
 言うまでもないことだが、10年ごとに談話を出す必要はさらさらない。
 村山50年談話、
 小泉60年談話
をただ踏襲するだけなら、なおさらそうである。
 安倍首相は、この2つの談話とは違うものを出したいからこそ有識者懇談会「21世紀構想懇談会」まで設置して、談話の構想を検討してきた。
 単純に引き継ぐのなら、こんなたいそうな仕掛けは必要ない。

 一部では、まるでバイブルのように村山談話が扱われているが、そもそも村山談話はそれほど立派なものなのか。

 例えば、同談話には
 「遠くない過去の一時期、国策を誤り」
とあるが、当時村山首相は、「どの内閣のどの政策が誤った」という認識かを問われ、
 「どの時期とかというようなことを断定的に申し上げることは適当ではない」
と答えている。
 これでは日本のどのような行為について謝罪したのかさえ不明だということになる。
 こういう曖昧さを持っていたのが、村山談話なのである。

 村山元首相は、安倍談話について「(村山談話が)引き継がれたという印象はない」と語っているが、当然のことである。
 もともと引き継がないために構想したもの
だからである。
 その意味では、「引き継がれたという印象はない」と当事者が語っているのだから、それだけでも安倍首相の作戦は功を奏したということだ。

■ひたすら「お詫び」を続ける道からの脱却

 では何を引き継がなかったのか。
 それは、ひたすら「お詫び」をし続けるという立場であったと思う。
 安倍首相は談話で、
 「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。
 あの戦争に関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
と述べた。まったくその通りである。

 村山談話、小泉談話で日本の首相が「お詫び」を述べた。
 だからといって中国や韓国との関係が改善されただろうか。
 いくら「お詫び」を表明したところで、それによって日中関係や日韓関係が改善される保証は、どこにもない。
 それどころか「お詫び」をすればするほど、図に乗って無理難題を要求してくることも少なくないのが、この両国との関係である。

 村山元首相らのように、未来永劫謝り続けろという立場からの脱却こそ、安倍談話の核心の1つなのである。

■村山談話を「踏襲」したのは表現だけ

 安倍談話は、
 「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」
 「こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものであります」
と述べている。

 この表現について、安倍談話に批判的な朝日新聞は、
 「同じ単語が盛り込まれたとはいえ、村山・小泉談話と安倍談話には大きな違いがある。談話を語る『主語』だ」
 「村山富市首相(当時)は、談話の末尾を『私の誓いといたします』と結び、
 小泉純一郎首相(当時)は『私は、終戦60年を迎えるに当たり』と談話を書き出した」
が、安倍談話には「私は」という主語がないと批判している。

 また、共産党の志位委員長は
 「反省とおわびについて、歴代政権が表明したという事実について言及しただけで、自らの言葉で述べていない。
 大変欺瞞に満ちたものだ」
などと批判している。

 批判の内容は別にして、事実関係は朝日新聞や志位氏が指摘するとおりである。
 安倍首相は、自分の言葉では、語りたくなかったからである。
 そこには、中国への「侵略」について、記者会見で
 「具体的にどのような行為が侵略にあたるか否かについては、歴史家の議論に委ねるべきだと考える」
と述べたように、安倍首相の歴史観が強くにじみ出ている。
 いつまで謝り続けるのか、という強い思いもあるはずだ。

 安倍談話が、「踏襲する」というのは表現だけであって、その精神は踏襲しないということでもあるのだ。
 したがって、安倍首相にとって、
 「村山談話を踏襲していないではないか」という批判は、痛くもかゆくもない
のである。

■ポツダム体制に対して婉曲に異論

 安倍首相自身は歴史家の議論をまたずとも「中国への侵略」ということについて、おそらく否定的見解を持っているはずである。
 また戦前の日本の体制についても、すべてを否定する立場ではないはずだ。

 だが日本は、ポツダム宣言を受諾しているのである。
 ポツダム宣言には、
 「日本国国民を欺瞞し、これをして世界征服に出ずるの過誤を犯した勢力を永久に取り除く」
などとある。
 おそらく安倍首相は、日本が世界征服を目指していたなどという決めつけに異論を持っているはずだ。
 広島、長崎への原爆投下も非難したかったはずである。

 だが日本はこの宣言を受諾している。
 しかも宣言を発した主体はアメリカである。
 ポツダム宣言の内容に異論を唱えることは、アメリカに異論を唱え、逆らうことになる。

 このポツダム体制こそが、安倍首相が言う戦後レジームなのだが、この体制に正面から異論を唱えることは、対米従属国家である日本の首相にできるわけがない。
 これをもっと婉曲な形で実現しようとしたのが、今回の70年談話ではないのだろうか。

 その意味では、安倍談話は非常に工夫されたものであり、苦心の作であると言えよう。

■簡潔、適切に叙述した日本の近代史と世界情勢

 談話は、
 「終戦70周年を迎えるにあたり、
 先の大戦への道のり、
 戦後の歩み、
 20世紀という時代
を、私たちは心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならない」
という文言から始まっている。

 単に戦後70年というスパンではなく、明治維新を通じて日本が近代化を進めて独立を守り、立憲政治を打ち立てたことや日露戦争にも言及し、第2次世界大戦にいたる世界の情勢にも言及している。
 これは村山・小泉談話にはなかったものである。

 また日本が戦争の道を突き進むことになった背景に、欧米列強の植民地支配と経済のブロック化があったことにも言及し、その過程の中で日本が「進むべき進路を誤」ったとしている。
 簡潔だが、日本の近代史と世界情勢が適切に叙述されている。

 こうした叙述は、非常に重要である。
 日本による侵略や植民地支配を肯定する必要はないが、なぜ日本がそういう道を歩んでしまったのか、実は学校教育などでも十分に学ぶ機会が与えられていないからだ。
 こういう歴史を知らずして、歴史の教訓に学ぶことなどできない。
 その意味でも、大変重要な問題提起がなされているのである。

 さらに安倍談話は、中国、韓国に向けてだけではなく、アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアなどにも言及し、感謝の身持ちを表明している。
 これも村山・小泉談話にはなかった視野である。

■次に出すときはもっと未来を語るものを

 おそらく批判も多々あるであろうことが想定できるにもかかわらず、安倍首相は、なぜこのような談話を出したのか。
 その最大の狙いは、
 この談話によって、
 エンドレスに続く中国や韓国からの謝罪要求
に終止符を打つことだった
のではないだろうか。
 そうであるなら大賛成である。

 戦争の悲惨さを語り継ぐことは大切なことである。
 不戦の決意は、どれほど強くても良い。
 だが、それは日本という国の歴史や日本民族を貶めることではない。

 もちろん肯定すべき歴史も非難されるべき歴史もあるであろう。
 だがその両方を含めて、最終的に誇りが持てるようにしてこそ、未来に生きるのである。
 もう終戦記念の談話は、安倍談話を最後にしてもらいたい。
 次に出すときは、もっと未来を語るものであってほしいと願う。



レコードチャイナ 配信日時:2015年8月19日(水) 8時30分
http://www.recordchina.co.jp/a116908.html

日本の世論、「安倍談話」支持に傾く
=韓国ネット「安倍首相にだまされるな!」
「日本は韓国との戦争を選んだ」

 2015年8月18日、韓国・聯合ニュースは、安倍晋三首相が14日に発表した「戦後70年談話」は植民地支配や侵略に対する謝罪を過去形で表現するにとどまったが、
 日本の世論は安倍談話を「支持する」方向に傾いていると伝えた。

 日本メディアが15~16日に実施した世論調査で、
★.安倍談話を「評価する」とした回答が48%となり、
★.「評価しない」の34%
を上回った。
 また、安倍首相が
 「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」
と述べたことに関連し、
 日本は謝罪を続けるべきかとの質問には、
★.63%が「そうは思わない」
と答えた。
 また、先の大戦への痛切な反省と心からのおわびを表明した歴代内閣の歴史認識を継承する考えを示したことについては、72%が「評価する」とした。

★.安倍内閣の支持率は先月の調査より2ポイント上昇し45%、不支持率は4ポイント下がり45%
を記録した。



サーチナニュース 2015-08-20 13:5
http://news.searchina.net/id/1585907?page=1

中国を強国とみなさぬ日本
・・・だから歴史認識を改めない!=中国メディア

 中国メディア・中華網は17日、安倍晋三首相が14日に戦後70周年談話を発表したことに関して
 「単に自分たちの力量不足で戦争に失敗したと思っているに過ぎない」、
 「中国を強者とみなしていない」
ため、日本が歴史問題における誤りを認めることはあり得ないとする評論記事を掲載した。

 記事は「安倍談話」について、
 「彼に侵略戦争の反省をさせることは不可能だということを深く認識しなければならない」
として、
 「彼は自分が誤っているということを認めない。
 なぜなら、単に自分の力量が他人に及ばなかったからこそ失敗したとしか思っていないからだ。
 自分の力が強ければ、当時あれほど多くの国から干渉されなければ、自分たちの思い通りになっていたはずだと思っているからだ」
とその理由を説明した。

 また、もう1点「われわれがはっきり認識しておかなければいけない」こととして、
 「日本がもっとも恐れているのは強者であり、日本は中国を強者とは認識していない」
点を挙げた。
 そして、米国が日本関連の問題で思うままに振る舞っているのは
 「まさに米国人が徹底的に日本を打ち負かしたからなのだ」
と論じた。

 ただその一方で、「安倍談話」が歴史問題における誤りを認めなかったうえに、
 「台湾を独立国家として扱おうとした」
と主張、そこには「自分のやり方を示そうとした」ことが伺え、
 さらには
 「日本がそもそも負けを認めようとしない」
ことの表れであると解説した。

 記事は最後に、
 「われわれの目の前にある道がなおも険しいものであることを、われわれは理解しなければらない。
 日本はわれわれに立ちはだかる大きな試練であるとともに、
 中国の対等における最大のトラブルメーカー
なのだ」
と結んだ。



サーチナ 8月21日(金)7時21分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150821-00000017-scn-cn

日本人が中国の言うことを聞かないのは、
「小中華思想」があるからだ=中国メディア 

 中国メディア・新華網は17日、日本が中国の言うことを聞かない背景には日本の「小中華思想」があるとする評論記事を掲載した。

 記事は古代から近代に至るまでの歴史を振り返る形で、日本の「小中華思想」について紹介。
 まず古代において、日本は一度中国を頂点とする冊封体制の中に入ったものの、
★.西暦607年には聖徳太子が遣隋使の小野妹子を介して隋の皇帝・煬帝に対し「日出ずる処の天子が日落ちる処の天子に・・・」とする書簡を送り、翌608年にも日本側が「東の天皇が西の皇帝に敬白す」として
★.日本と中国が対等であることを示す文書を送った
と解説。
 「中国に対する自己卑下意識を、日本独自の考え方に変えたのは聖徳太子だった」
と論じた。

 それ以後、
★.日本は非常に自覚的に中国との対等な関係を保つことに注力し、
 中国に対して決して屈服しない心理を持つに至った
と説明。
 日本人は遣唐使を派遣して中国の文化を学ぶ一方で、
★.決して中国に対して自らを「」とは名乗らなかったとした。
 さらに、東アジアの冊封体制における「中華思想」の影響を受け、早い時期から日本にも「小中華思想」が出現、自らを「中国」として日本列島上でまだ統治が実現できていない部族を「夷」と称する考え方が生まれたと解説した。

 さらに、中国が異民族による支配を受けると、日本人は朝鮮同様「中華はすでに滅んだ」と認識するようになり、自らこそが中華文化の正統な継承者であるとの認識を持つようになったと指摘。
 とくに清朝成立以降には、日本人が清朝人を「豚尾」、「辮髪坊主」を嘲笑うようになり、一部の知識人からは「中国」、「中華」という呼び名に対する疑問の声まであがったとした。
 そして、1871年に締結された日清修好条規では「日本代表団は清朝政府が『中国』と名乗ることに同意しなかった」と紹介した。

 記事は、清朝末期に中国国内が弱体化すると、日本国内では中国に代わって日本が盟主となる新秩序を構築しようとの動きが出てくるとし、1874年に台湾を侵攻、79年には琉球を呑み込み、94年には日清戦争を起こし、翌95年の下関条約によって中国を中心とする東アジアの国際秩序を完全に崩壊させたと論じた。
 そして、これ以後日本では中国に対する尊称が「支那」という蔑称に代わって行ったとした。

 記事は最後に、
 「日本の歴史のなかで堆積した『小中華』の考え方が存在するゆえに、
 日本の一部勢力は中国が再びアジアの中心になるまで台頭することを容認できないのだ」
とまとめ、
 日中関係を分析する際には「この日本人独特の心理状態を忘れてはならないのである」
と結んだ。




中国の盛流と陰り



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